大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所堺支部 平成元年(ワ)393号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野次郎に対し一億一二三〇万八六〇六円、同甲野太郎及び同甲野春子に対しそれぞれ五五〇万円及び原告らに対し右各金員に対する平成元年五月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野次郎(以下「原告次郎」という。)は、同甲野太郎(以下「原告太郎」という。)を父とし、同甲野春子(以下「原告春子」という。)を母として、昭和六〇年一〇月二三日に出生した男子である。

(二) 被告は、医師であって、内科、小児科、放射線科を標榜科目とする「A医院」(以下「被告医院」という。)を経営している。

2  原告次郎の被告医院における受診経過等

(一) 原告春子は、昭和六一年四月二六日午前一一時二〇分ころ、原告次郎を抱いて被告医院を訪れ、被告に対し、「原告次郎がドスンという音を立ててベビーベッドから落ちた。どこを打ったかは判らない。泣き声が異常なので連れて来た。」旨述べて、原告次郎の診察を求めた。

被告は、「またか。この間から二、三件続いているな。」などと言いながら、原告次郎を診察台に寝かせるよう原告春子に指示した。そして、被告は、診察台から約一メートル離れた場所に立ったまま原告次郎を見ただけで、原告次郎を触診せず、原告次郎の頭部を正面及び側面からレントゲン撮影した後、レントゲン写真を見て、「大丈夫。異常なし。」と言っただけであった。原告春子が、もしもの場合を懸念して、被告に対し、「異常を感じたら、午後でも連れてきてよいか。」と尋ねたところ、被告は、「今日一日は、風呂に入れないように。今日一日じっとさせて、明日になったら遊ばせてもよい。」旨の簡単な指示をして、原告春子及び原告次郎を帰宅させた。

(二) 原告春子において、帰宅後、原告次郎を抱いて様子をみていたところ、原告次郎は、暫くうとうとと眠っては目を覚まし弱々しい声で泣くということを繰り返していたが、そのうち顔及び唇の色が白くなり、さらに、口から泡のようなものを吹き出した。そこで、原告春子において、同日午後一時四〇分ころ、被告に電話を架け、「原告次郎の顔と唇の色が白っぽくなり、口から泡のようなものを吹き出したが、大丈夫でしょうか。」と原告次郎の容態を説明して指示を仰いだが、被告は、「子供にはよくあることだ。大丈夫だから寝かせておきなさい。」と答えたに止まった。

(三) 原告春子は、不安を拭い去ることができなかったため、実父の訴外Bに電話を架けて事情を話したところ、訴外Bが同日午後三時三〇分ころ原告宅に赴いた。訴外Bは、原告次郎の左足が股関節の辺りから外側に異常に開いているのを見つけ、原告春子にこれを告げた。

そこで、原告春子は、再び被告に電話を架け、原告次郎の容態が異常である旨告げた。被告は、「何回も何回も電話してきて、うるさいなあ。」などと言って不機嫌であったが、原告春子から「子供の足がつってきた。右目も開かない。是非診てほしい。」と懇願されて、原告次郎を被告医院に連れてくるよう指示した。

原告春子は、原告次郎を連れて、訴外Bと共に、知人の訴外Cの運転する自動車に同乗して、同日午後三時四五分ころ、被告医院に赴いた。

(四) 原告次郎は、被告医院に到着したころ、顔色が蝋人形のようになり、両目が開かず、左足が股関節の辺りから外側に異常に曲がっていた。被告は、原告次郎を診察台に寝かせるよう指示したが、診察台から約1.5メートルないし二メートル離れた場所から原告次郎を見ているだけで、診察台に近づこうともしなかった。暫くして、被告は、原告次郎の下半身をレントゲン撮影し、レントゲン写真を見て、異常がないと診断した。

しかしながら、原告春子らが、レントゲン撮影後、原告次郎の様子を見守っていたところ、原告次郎の頭部が急に腫れあがってきており、同原告の容態は明らかに異常であった。そこで、訴外Bが被告に対して「頭が腫れあがってきている。もっとよく診てくれ。」と頼んだが、被告は、「大丈夫だ。わしの診察にけちをつけるのか。」などと言って怒鳴り返すだけで、原告次郎の方を見ようともしなかった。

訴外Bが被告に対して「こんなことしてられへん。すぐに病院を紹介してくれ。」と要求したところ、被告は、「そしたら紹介状を書こうか。」という趣旨のことを言いながら、なかなか紹介状を書こうとしなかった。そこで、訴外Bと訴外Cは、しびれを切らして自分たちで病院を探すことにし、被告医院の近所にある岡記念病院を訴外Cの知人に紹介してもらい、同病院に原告次郎を連れて行く手筈を整えたところ、被告は、「その病院に連れて行ってもらっては困る。私の紹介する病院に連れて行ってもらわねば絶対に困る。」などと言って、被告医院から車で約一時間かかる所にある大阪府大阪狭山市内所在の河南病院への紹介状を書き、同病院へ原告次郎を連れて行くように指示した。その際、訴外Cらが被告に対して「救急車や担架が必要ではないか。」と尋ねたが、被告は「そのようなものは必要ない。」と答えた。原告春子は、同日午後四時三〇分ころ、原告次郎を連れて、訴外Cが運転する車に同乗して被告医院を出発し、河南病院へ向かった。

(五) 原告春子らは、同日午後五時三〇分ころ、河南病院へ着いた。原告次郎は、同病院における診察の結果、頭蓋骨骨折、急性硬膜外血腫と診断され、同日午後一〇時ころ、頭部を切開して約一五〇グラムの血腫を除去する手術を受けた。

3  被告の責任(診療契約上の債務不履行)

(一) 乳幼児のベッドからの転落事故にあっては、頭蓋骨骨折などにより頭蓋骨内に出血を引き起こすことがあり、かつ、これに対する治療が遅れると、死亡など重大な結果を生ずることがあり得るから、被告は、初診時(当日午前一一時二〇分ころ)に、原告次郎の転落時の状況を原告春子に詳細に尋ね、原告次郎に対する視診、触診を十分に行い、かつ、レントゲン撮影を行う等して、原告次郎に頭蓋骨骨折及び頭蓋骨内に出血を引き起こすような傷がないかどうか診察する義務があった。

それにもかかわらず、被告は、問診、視診、触診など診療行為といえることを全くしなかった。また、河南病院において開頭手術前に撮影した原告次郎の頭部レントゲン写真によって、縫合部が少し離開していることが認められたのであるから、被告が撮影したレントゲン写真にも同じ状態が写っていたものと推測され、被告は、初診時に、原告次郎が縫合部の離開骨折をしていることを発見してしかるべき処置をすべきであったのに、これを見過ごして異常がないと診断した。

右事実によると、被告は、昭和六一年当時の医療水準に照らし、小児科医として診療の際に尽くすべき注意義務を怠ったというべきである。

(二) 本件のように乳幼児がベッド等から転落する事故を起こした場合には、当初頭部などに骨折等の異常が認められなくても、後になって脳内に出血してくることがあり、その場合には嘔吐、頭痛、意識障害、発熱、痙攣、貧血(顔色が悪く、蒼白になる。)等という異常な変化が起きてくることは、医学的常識である。したがって、被告としては、原告春子からの当日午後一時四〇分ころの電話で原告次郎の容態を聞いた時点において、貧血と頭蓋内圧上昇を疑い、直ちに原告次郎の来院を求めて再度検査し、その結果頭蓋内出血等の重大な傷害の存在が疑われたときは、速やかに脳神経外科医が在勤する病院へ行くように指示すべきであった。

それにもかかわらず、被告において「大丈夫だから、寝かせておきなさい。」という不適切な指示を与えたに止まったことは、昭和六一年当時の医療水準に照らして、小児科医に要求される注意義務を怠ったものというべきである。

(三) 二度目の診察の際(当日午後三時四五分ころ)の原告次郎の容態によって、意識障害、貧血、左片麻痺、頭皮下出血が認められるところ、これらは頭蓋内出血を疑わせる症状であって、現に被告自身も頭蓋内出血を疑っていた。そして、被告医院には脳外科手術その他適切な診察、検査、治療を行うための人的・物的施設が全くなかった。

そうすると、被告には、原告春子らに対し、(1)頭蓋内出血に対して有効、適切な医療措置を講ずることができる医療施設を紹介し、かつ、(2)紹介に当たっては、①原告次郎の容態が急を要するものであったから、受入先において原告次郎に対して診療行為を行うことができるか否かを確認し(特に、本件は、土曜日の午後という時間帯であったから、原告次郎の搬送後直ちに手術にとりかかることができるか否かを確認し、その用意がないのであれば、予め手術スタッフを招集しておいてもらうか、他の受入先を探す必要があった。)、②原告次郎の容態、診療経過等を受入先に説明し、受入先において要求される診療行為の内容(開頭手術が必要であること)を明確に告げたうえで、原告次郎を受入先まで緊急かつ安全に転送するため救急車の派遣を要請する義務があった。

しかるに、被告は、原告次郎を河南病院に転送するに当たり、同病院に対して原告次郎の容態を告げて緊急手術の依頼をすること及び救急車の派遣要請を怠った。その結果、原告次郎は、同病院において一般患者の取扱いを受け、手術の準備に手間取り、同病院に着いてから約四時間後に漸く開頭手術が開始された。原告次郎の開頭手術が遅れたのは、被告が転送に当たって尽くすべき右注意義務を怠った過失によるものである。

4  損害

原告次郎は、診療契約上の被告の右債務不履行により、早期に適切な治療を受ける機会を奪われ、河南病院における開頭手術が遅れたために、頭蓋内血腫の後遺症として、左片麻痺、発育遅延、発語障害などの障害が残った。

原告次郎は、頭蓋骨骨折、急性硬膜外血腫の治療が終わった昭和六一年七月二日以降も、機能回復のための治療を受けているが、現在も、左上下肢は、知覚、痛覚が鈍麻したままであって、手掌及び足底は知覚、痛覚の脱失の程度にまで至っており、また、肩甲帯周辺筋、上腕二頭筋、前腕回内筋、母指内転筋、手指屈筋群等に痙性麻痺が残っている。

そのため、原告らは、次の各損害を受けた。

(一) 治療費

二一万六二四七円

(1) 警察病院 一〇万〇五八七円

昭和六一年六月から昭和六二年一二月まで

(2) 大手前整肢学園

四万八八三〇円

昭和六一年七月二日から昭和六二年一〇月二一日まで

(3) 南大阪療育園 六万六八三〇円

昭和六二年九月から昭和六三年三月まで

(二) 通院交通費

一六四万六八六〇円

(1) 警察病院 四万八〇〇〇円

昭和六一年六月二六日から昭和六二年一〇月六日まで(実通院日数三二日、往復一五〇〇円)

(2) 大手前整肢学園

三万七九二〇円

昭和六一年七月二日から同年一〇月三一日まで(実通院日数二四日、往復一五八〇円)

(3) 南大阪療育園

一四万二三八〇円

昭和六二年一〇月から平成五年一二月二三日まで(実通院日数一一三日、往復一二六〇円)

(4) 四天王寺悲田院

二九万七八四〇円

昭和六三年一〇月から平成五年一二月二三日まで(実通院日数二〇四日、往復一四六〇円)

(5) 将来の分 一一二万〇七二〇円

原告次郎は、機能回復訓練を継続するため、二〇歳に達するまで南大阪療育園(週一回、往復一二六〇円)及び四天王寺悲田院(月二回、往復一四六〇円)に通院しなければならない。

1,260円×616=776,160円

1,460円×118×2=344,560円

776,160円+344,560円=1,120,720円

(三) 自動車購入費

七六万〇〇〇〇円

原告次郎の成長に伴い体重が増え、同原告を抱いて通院或いは通園することが困難となったため、自動車の購入を余儀なくされ、平成二年一一月一五日に軽四輪貨物自動車(スバルレックス)(中古車)を代金一八万円で購入し、次いで、右車両が故障して修理が不可能であったため、平成三年六月五日に軽乗用車(三菱ミニカ)(中古車)を代金五八万円で購入した。

(四) 介護料

四八一一万五二〇二円

原告次郎は、独力で歩行することも立ち上がることもできないため、常時介護を受ける必要があり、介護料として一日当たり四〇〇〇円を要する。

(1) 昭和六一年七月二日から平成元年四月二六日まで

4,000円×1,030=4,120,000円

(2) 平成元年四月二七日以降

平成元年四月現在の原告次郎の平均余命は72.39年であり、ホフマン式計算法によって中間利息を控除すると、次のとおりとなる。

4,000円×365×30.1337=43,995,202円

(五) 逸失利益

三二五七万〇二九七円

原告次郎は、平成元年四月時点において三歳児であるが、一八歳から六七歳までの間、年額一八七万七九〇〇円(昭和六一年度賃金センサスによる学歴計一八歳の男子労働者の平均年収)の収入を得ることができる労働能力を有していたのに、これを一〇〇パーセント失った。ホフマン式計算法によって中間利息を控除し、その逸失利益の総額を計算すると、次のとおりとなる。

1,877,900円×17.344=32,570,297円

(六) 慰謝料

三〇〇〇万〇〇〇〇円

(1) 原告次郎 二〇〇〇万円

原告次郎の後遺障害の程度を考慮すると、被告の診療契約上の債務不履行によって原告次郎が被った肉体的、精神的苦痛を慰謝する金額としては、二〇〇〇万円が相当である。

(2) 原告太郎及び同春子

各五〇〇万円

原告太郎及び同春子は、原告次郎が生涯介護の必要な身体障害者となったことにより、その生命を害された場合に比肩すべき精神的苦痛を被った。右精神的苦痛を慰謝する金額としては、各五〇〇万円が相当である。

(七) 弁護士費用

一〇〇〇万〇〇〇〇円

原告らは、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟手続を依頼し、弁護士費用として一〇〇〇万円(原告次郎につき九〇〇万円、同太郎及び同春子につき各五〇万円)の支払を約した。

(八) 合計

以上により、原告らが被告に対して取得した損害賠償請求権の額は、原告次郎において一億一二三〇万八六〇六円、同太郎及び同春子において各五五〇万円となる。

5 結論

よって、原告らは、被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求として、原告次郎において一億一二三〇万八六〇六円、同太郎及び同春子において各五五〇万円及び原告らにおいて右各金員に対する平成元年五月五日(本件訴状が被告に送達された日の翌日)から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁及び主張

1  請求原因1(一)、(二)の各事実は認める。

2  請求原因2について

(一) 2の(一)の事実について

原告ら主張の時刻ころ、原告春子が原告次郎を被告医院に連れてきて被告の診察を求めたこと、被告が原告次郎のレントゲン撮影をしたことは認める。原告春子が被告に説明した事故の模様、被告が問診、視診、触診等を行わなかったこと及び被告の指示内容は争う。

(二) 2の(二)の事実について

原告春子が被告に電話を架けたことは認めるが、その時刻及び電話による原告春子と被告との会話内容は争う。原告春子が電話を架けるに至った経緯は知らない。

(三) 2の(三)の事実について

原告春子が当日の午後再び被告に電話を架けたこと、原告次郎を連れてくるように被告が原告春子に指示したこと、原告次郎が再度被告医院で受診したことは認めるが、電話による原告春子と被告との会話内容は争う。原告春子が電話を架けるに至った経緯は知らない。

(四) 2の(四)の事実について

原告次郎の容態が、顔面蒼白で呼吸も荒く、意識もないような状態であって、左下肢が外方に開くような異常があり、後頭部が腫脹していたこと、原告春子に二名の男性が同行していたこと、被告が原告次郎の下半身のレントゲン撮影をしたこと、被告が河南病院に対する紹介状を書いたこと、原告春子が自家用車で河南病院へ向かったことは認める。被告が視診、触診等を全くしなかったこと、被告がレントゲン写真を見て異常がないと診断したこと、訴外Bらが岡記念病院に連れて行く手筈を整えてその旨を被告に告げ、被告がそれを拒否したこと、被告が救急車或いは担架の必要がないと指示したこと、原告次郎らが被告医院を発った時刻は争う。

(五) 2の(五)の事実について

原告次郎が、被告医院から河南病院へ赴き、同病院において診療を受けたこと、同原告が頭蓋骨骨折、急性硬膜外血腫と診断され、原告主張の時刻ころ、頭部を切開して約一五〇グラムの血腫を除去する手術を受けたことは認めるが、原告次郎らが河南病院に着いた時刻は知らない。

3  請求原因3について

(一) 3の(一)の主張について

原告らの主張は争う。河南病院において原告次郎の頭部入字縫合部の離開骨折が認められているが、それは開頭手術における所見である。レントゲン写真による縫合部離開骨折の診断は難しく、初診時のレントゲン写真から離開骨折と診断することは困難であった。

(二) 3の(二)の主張について

原告らの主張は争う。原告春子からの電話の内容、これに対する被告の指示は、後記被告の主張のとおりであった。

(三) 3の(三)の主張について

被告において、二度目の診察の際、原告次郎の容態から頭蓋内出血を疑ったこと及び被告医院に脳外科的手術を行う人的・物的施設がなかったことは認める。

被告は、原告次郎を診察した日の約一週間前に、脳外科的手術の必要な小児の受入先を探すのに苦労し、国立大阪南病院及び近畿大学医学部附属病院では土曜日の午後は脳外科医が不在であるとの理由で断られ、河南病院を紹介して同病院で手術を受けて経過が良好であったという経験を有していたので、本件において躊躇なく同病院に連絡を取ったものである。

河南病院は脳外科医が在勤しており、原告次郎は、一般患者としてではなく、土曜日の午後の診療時間外の救急患者として、直ちに脳外科医の診察を受けたものであって、被告の連絡不十分のために診察が遅れたという事実はなかった。

原告らは、原告次郎が脳外科的手術を要する患者であることを被告において河南病院に対して連絡すべきである旨主張するが、手術をするかどうかは専門医が判断する事柄であり、手術の要否に関する連絡の有無によって脳外科医の措置が変わるものではない。

原告らは、原告次郎の開頭手術が遅れたと主張するが、手術には準備を要するし、原告次郎の場合、事後の診療のため血管確保が不可欠であったところ、その措置が困難で時間を要したことなどからすれば、手術の開始が特に遅れたとはいえない。なお、小児の硬膜外血腫については、受傷後二四時間以内に開頭、血腫除去術が行われた場合には、神経学的後遺症は概ね残らないといわれており、二四時間が一応のクリティカルタイムであるとされているところ、本件は受傷後約一〇時間で手術が行われているから、この点からも開頭手術が遅れたということはできない。

4  請求原因4について

(一) 原告次郎については、その後になされた大阪警察病院の診察により、硬膜下血腫、脳挫傷、脳内出血が認められている。硬膜下血腫、脳挫傷、脳内出血が存した場合は、一般に、早期に診断治療がなされても、重篤な後遺障害を残す可能性が高いといわれているから、原告次郎の後遺症は手術時期とは関係がないとみるべく、被告の診療と原告次郎の後遺症との間には因果関係がないというべきである。

(二) 原告ら主張の損害については、知らない。

5  原告次郎の被告医院における受診経過

(一) 初診時の被告の問診に対する原告春子の説明は、原告次郎がベビーベッドから落ちたということであったが、原告春子はその場に居合わせておらず、「気が付いたときには、原告次郎がベビーベッドの下で泣いていた。ベッドから落ちた時刻も、午前一一時ころと思うが、正確には判らない。ベッドの高さは約四〇センチメートルであり、ベッドの下は畳で固いものはなかった。」というものであった。

被告は、原告次郎を診察用ベッドに寝かせ、頭部の腫脹の有無、瞳孔の異常の有無、鎖骨骨折の有無、四肢の麻痺の有無、腹部の異常の有無等について、十分な視診、触診を行ったが、頭部を打撲したような形跡は認められず、ほかにも特に異常は認められなかった。被告は、念のため原告次郎の上半身について二方向からレントゲン撮影を行ったが、頭部の骨折等の異常所見は認められなかった。

被告は、右の診察後、原告春子に対し、次のような指示、説明をした。

(1) 頭部レントゲンでは骨折等の異常は認められないが、頭部を打撲した場合には、後になってから頭蓋内出血が発見されることもあり、一時的に元気になっても決して安心できない。帰宅した後も原告次郎を安静にさせて、入浴を禁止すること。

(2) 頭蓋内出血の有無は、エックス線CT撮影(コンピューター断層撮影法)によらないと確認できないが、エックス線CT撮影でも、事故直後で出血量が少ないと発見が困難である。

(3) 被告医院付近のエックス線CT設備のある病院でも、常時検査に応じてもらえるとは限らない。特に土曜日の午後や日曜日、休日には頭部外科体制に不備があるから、原告次郎に嘔吐、頭痛、発熱、痙攣、意識障害などが出たら、直ちに被告医院に来院させること。来院したら被告において受入病院を探す用意がある。

(二) 当日の午後、原告春子から最初の電話があり、被告に対し、「原告次郎にミルクを飲ませたらよだれを出した。よだれは危険症状か。」という質問があった。被告は、「よだれだけでは何ともいえないので、心配ならいつでも連れてくるように。」と答えた。

(三) その後、原告春子から二度目の電話があり、原告次郎の左下肢に異常があると訴えた。そこで、被告は、直ちに原告次郎を連れてくるように指示し、まもなく原告春子が原告次郎を連れて二名の男性と共に被告医院を訪れた。

(四) 被告の視診、触診等によると、再診時の原告次郎の様子は、顔面蒼白で呼吸が荒く、意識もないような状態であって、左下肢が外方に開く異常があり、右側頭部から後頭部にかけて初診時には見られなかった腫脹が認められた。

被告はこのような原告次郎の病状の原因について、右頭蓋内に出血してそれが皮下にも現れ、左下肢の異常も、右頭蓋内出血により脳が圧迫されたための麻痺であろうと考えた。

そこで、被告は、原告春子に対し、原告次郎を直ちに入院させる必要がある旨告げ、同原告を受け入れてくれそうな病院に電話してもよいかと尋ねた。原告春子及び訴外Bと思われる男性がお願いしますと答えたので、被告は直ちに河南病院へ電話を架けて受入れの了承を得た。

被告は、原告春子に対し、河南病院宛の紹介状を渡し、救急車を呼ぶか自家用車で行くかを尋ねたところ、自家用車で行くとの答えであったので、河南病院の場所を教えようとした際、訴外Cと思われる男性が岡記念病院へ運んだらよいと言い出した。被告が患者の病状と受入体制についての判断は医師に任せてほしいと述べたところ、右男性も、その旨了解し、被告から河南病院の場所を聞いて確認した。原告次郎らが被告医院を出発する直前、付き添ってきた男性から「担架が必要ではないか。」との発言があったが、原告春子はそれに反対して原告次郎を抱いて自家用車で出発した。被告医院から河南病院への距離は、三日市町駅筋に出て国道三一七号線を利用した場合、約一〇キロメートルである。

第三  証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因1(一)(二)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  原告次郎の被告医院における受診経過等について、後掲各証拠によれば、次の各事実が認められる。

1  昭和六一年四月二六日午前一一時二〇分ころ、原告春子が原告次郎を抱いて被告医院を訪れた。

原告春子は、被告に対し、「外出して帰って来たら、原告次郎がベッドから落ちて泣いていた。泣き止まないから診てほしい。」と訴えた。被告において、原告次郎がベッドから落ちた状況やベッドの周辺の状況などを尋ねたところ、原告春子は、「外出していたので、落ちた状況は判らない。時刻は午前一一時ころと思う。ベッドの高さは四〇センチメートルくらいで、ベッドの下は畳で、畳の上に固いものは置いていなかった。」と答えた。初診時の原告次郎は、泣いて暴れていた。

被告は、原告次郎を診療用ベッドに寝かせ、先ず頭部及び鎖骨部の触診を行い、次いで手足を動かして麻痺がないかどうか、瞳孔を開けて左右の不同がないかどうかを確かめ、さらに腹部の触診を行った。右診察の結果によると、原告次郎に特に異常な点はなかった。被告は原告次郎の上半身(頭部、胸部)について二枚のレントゲン撮影を行ったが、これによっても骨折等の異常所見は認められなかった。そこで、被告は、経過観察の方針を取ることにして、原告春子に対し、大要「頭部に骨折が認められなくても、後から脳内に出血してくることがある。その場合には、嘔吐、頭痛、意識障害、発熱、痙攣等の異常な変化が起きるから、家に連れて帰って安静にさせて様子を見るように。入浴を差し控えるように。少しでも変化があれば、電話をするなり連れて来るように。」と指示した。これに対し、原告春子から、深夜になっても構わないかという問いがあり、被告は、夜中であっても、変化があれば直ちに連れて来るように答えた。原告次郎は、診察終了時には泣き止んで眠っていた。

(乙一、証人C、原告春子本人((一部))、被告本人)

原告春子本人の供述中には、初診時の被告の診察及び指示について、「被告から詳しい問診はなかった。被告は診察用ベッドから一、二メートル離れた所から原告次郎を見ているだけで、触診は全くしなかった。被告の指示は、今日は風呂に入れずに家でじっとさせて、明日になったら遊ばせてもよいという内容だった。」旨の部分があるが、被告本人及び証人C(「物をあげたり、泡を吹いたり、鼾をかいたり、そのようなことがあれば、直ぐに電話してきなさい。」と被告から言われて帰ってきたということを、原告春子から聞いた旨の供述部分)の各供述に照らして、採用することができない。

2  同日午後一時すぎころから午後二時前ころの間に、原告春子から被告に対して「原告次郎にミルクを飲ませたら、よだれを出した。よだれは危険な症状か。」という問い合わせの電話があった。被告は、「よだれそのものは危険とはいえないが、おかしかったら連れて来るように。」と答えた。

(乙一、被告本人)

原告春子本人の供述中には、同原告において「原告次郎にミルクを飲ませても、全く飲まない。顔色がだんだん青白くなってきた。唇の色も白っぽくなった。口から泡のようなものを出した。大丈夫でしょうか。」と電話したところ、被告が「大丈夫だから、寝かせておきなさい。」と答えた旨の供述部分がある。しかしながら、甲一四(原告春子本人の供述により、同原告が原告次郎の様子で気になることを当日記載したメモであると認められるところ、これには原告次郎が泡のようなものを出した旨の記載はない。)、乙一(「ミルクをのんだがよだれをたれるとTELあり」との記載がある。)、被告本人の供述、右1で認定した初診時の被告の指示内容からして、原告春子において、原告次郎の顔色が青白くなったり、唇の色が白っぽくなったり、口から泡を吹いたということを被告に告げたとすれば、被告が「大丈夫だ、寝かせておきなさい。」と答えるとは考え難いこと、及び、右1で指摘したとおり、原告春子の供述の信用性に疑問があることに照らすと、原告春子の右供述部分を採用することはできない。

3  原告春子は、その後、実父である訴外Bの勤務先(株式会社○○銀行御堂筋支店)に電話を架けて不安を訴えた。訴外Bは、退社後原告ら宅に赴き、同日午後三時三〇分ころ、原告ら宅に着いた。

訴外Bが、原告次郎の様子を見ると、同原告の左足が股関節の付近からくの字状に曲がっており、顔色も悪く、右目も開かなかった。原告春子は、訴外Bの指示に従い、原告太郎の同僚(警察官)で柔道整復士の資格を有している訴外Cに電話を架け、訴外Cに原告ら方に来てもらった。訴外Cは、原告次郎の足の状態を見て、その異常が股関節脱臼というようなものではないと判断し、原告次郎を病院へ連れて行くように原告春子に助言した。

原告春子は、被告医院に電話を架け、被告に対して「原告次郎の左足が外に開いている。診てほしい。」などと言って診察を要請し、被告は「すぐに連れて来るように。」と答えた。原告春子らは、訴外Cの車に同乗して被告医院へ向かった。

(甲九、甲一〇、乙一、証人B、同C、原告春子本人、被告本人)

4  原告次郎は、同日午後四時ころ被告医院に着いたが、そのころの同原告の様子は、顔面蒼白で呼吸が荒く、意識もない状態であった。被告は、原告次郎を診察用ベッドに寝かせ、おしめを外させて、左足がどうなっているかを診察した。左足が異常に外側に開いていたので、被告は、腰椎に損傷があって足が外側に開いているのではないかと疑い、下半身のレントゲン撮影を行ったが、腰椎の損傷はなかった。

レントゲン撮影が終わって原告次郎を再度診察用ベッドに寝かせた際、原告春子から、原告次郎の右後頭部に異常があるとの指摘があったので、被告が右後頭部を触診したところ、右後頭部が腫れていた。被告は、再診時の原告次郎の容態、原告次郎の左足が異常に外側に開いていること及び原告次郎の右後頭部の腫れなどから、原告次郎が頭蓋内出血を起こしているのではないかと疑った。

そこで、被告は、原告次郎を転院させようと考え、原告春子に対し、「病院を紹介するがいいか。」と尋ねたところ、原告春子は、「お願いします。」と答えた。被告は、病院の紹介は自分に任せてほしい旨述べ、河南病院(被告は、本件の前にも、頭蓋骨骨折の小児を河南病院へ転院させたことがあり、同病院が二四時間体制の救急病院で脳外科的治療ができる病院であることを知っていた。)へ電話を架け、「右後頭部が腫れて左足が麻痺している患者がいるので、受け入れてほしい。」旨を依頼し、河南病院から承諾の返事を得た。

被告は、河南病院宛の診療情報提供書を作成し、初診時に撮影したレントゲン写真二枚と共に、原告春子に手渡した。そのころ、訴外Cから、岡記念病院へ行ったらどうかとの発言があったが、被告は、「患者の受入先は、医師に任せてほしい。」と答えた。被告は、先に頭蓋骨骨折の小児を河南病院に転院させた際、救急車を呼んで時間がかかった経験から、原告春子らに対し、救急車で行くか自家用車で行くかを尋ねたところ、自家用車で行くという返事であったので、訴外Cに対し、国道三一七号線、国道三一〇号線を経由して河南病院へ向かう道順を教えた。

(乙一、乙四の1・2、証人B((一部))、同C((一部))、原告春子本人((一部))、被告本人)

5  訴外Cは、被告から教えられた道順を通ることなく、外環状線を経由する道順で、河南病院に向かった。

原告次郎らは、同日午後五時一六分ころ、河南病院に到着し、河南病院は、原告次郎を土曜日の午後の時間外の患者として受け付けた。

河南病院において、先ず西岡医師が原告次郎を診察し、次いで脳外科専門の黄医師が同原告を診察した。レントゲン撮影、CT撮影等も行われた結果、開頭手術を行い血腫を除去することが必要と診断され、当時不在であった河南病院長である後藤弘医師に連絡がとられ、同医師が河南病院に赴いた。そして、原告次郎について、血管確保及び気道確保等の処置が行われた後、午後九時一五分ころから開頭手術が開始された。

(甲八、証人C、同後藤)

三  被告の責任について

1  初診時における被告の注意義務違反(請求原因3(一))について

(一)  先に認定したとおり(前記二の1)、被告は、問診、視診、触診等の診療行為を行ったことが認められるから、被告がこれらの診療行為をしなかったとの原告らの主張は理由がない。

(二)  河南病院において手術前に撮影された原告次郎の頭部のレントゲン写真(検甲三の一・二)を読影すると、縫合部が少し難開している印象を受けるものの、右レントゲン写真のみをもって離開骨折と診断するのは不可能であると認められる(証人殻内)から、被告が初診時に撮影したレントゲン写真に基づいて、原告次郎が縫合部の離開骨折を起こしていると診断することは困難であったというべきである。したがって、被告において、初診時に、原告次郎が縫合部の離開骨折を起こしていることを発見して、しかるべき処置をすべきであったとの原告らの主張は理由がない。

2  電話による指示に際しての被告の注意義務違反(請求原因3(二))について

先に認定したとおり(前記二の2)、原告春子の被告に対する電話による訴えは、「原告次郎にミルクを飲ませたら、よだれを出した。よだれは危険症状か。」というものであり、これに対する被告の指示は、「よだれそのものは危険とはいえないが、おかしかったら連れてくるように。」というものであった。

鑑定の結果及び証人殼内の供述によれば、原告春子の訴えに対する被告の右指示は医学的にみて適切であったものと認められるから、原告春子に対して被告が不適切な指示を与えたとの原告らの主張は理由がない。

3  転院に伴う被告の注意義務違反(請求原因3(三))について

医師は、その業務の性質に照らして、危険防止のために最善の注意義務が要求されるから、診療契約に内在する義務として、当該患者の疾病が自己の専門外にわたるものであるときは、当該患者が医療水準に見合う医療行為を受けられるように、他の専門医に転院させる措置を講ずべき義務があるというべきである。右の観点からすれば、医師が患者を転院させる場合には、当該患者を転院先が受け入れて診療行為を行うことの承諾を得る(求諾義務)と共に、当該患者の容態等を説明し(説明義務)、かつ、当該患者が転院先に安全に到達できるよう適切な措置を取ること(搬送義務)が、転院義務の内容として要求されるというべきである。

(一)  求諾義務について

先に認定したとおり(前記二の4)、被告は電話で河南病院に対して原告次郎の受入れを要請し、河南病院がこれを承諾した事実が認められるから、被告は求諾義務を尽くしたといえる。

(二)  説明義務について

被告において、河南病院に受入れを要請する際、原告次郎の容態について

「右後頭部が腫れて左足が麻痺している。」旨の説明をした事実が認められる(前記二の4)。そして、被告が作成して原告春子に託して河南病院に届けた診療情報提供書には、紹介目的として精密検査を掲げ、原告次郎の疾病の原因として、当日午前一一時ころベッドから四〇センチメートル下の畳に落下した旨の、現在の症状として、午後から傾眠(嗜眠)状態となっており、左大腿がやゝ開き、右頭頂部がやゝ腫大している旨の、治療経過として、経過観察のみで処置を加えていない旨の各記載がある(甲八、乙一)。

右事実に加えて、河南病院が二四時間体制の救急病院であって脳外科を主たる標榜科目としている病院であることを考慮するならば、本件において被告は転院にあたって要求される説明義務を尽くしたものとみるのが相当である。

原告らは、説明義務の内容として、転院先において要求される診療行為の内容(本件では開頭手術が必要であること)を明確に告げる義務がある旨主張する。転院先に求める診療行為の内容を告知することが、転院に伴う説明義務の一内容をなす場合があることは否定できないが、本件は被告の専門領域外の脳外科へ転院させる場合であったこと、被告において、開頭手術が必要であるとまでは説明していないものの、精密検査が必要であることは診療情報提供書に記載していたこと、開頭手術等の脳外科的治療が必要かどうかは、精密検査を行ったうえでの専門医の判断が重きをなすことなどを考慮すれば、本件において開頭手術が必要であることを明確に告げる義務が被告にあったとまでいうことはできない。

(三)  搬送義務について

原告らは、搬送義務に関し、被告において救急車の派遣を要請すべきであった旨主張する。一般論としては、救急車の方が自家用車よりも迅速かつ安全に患者を転院先に搬送できるといえる。

証拠(乙四の1・2、被告本人)によれば、被告医院が所在する河内長野市南花台地区にある消防署分署にはその当時救急車の配備がなく、救急車の派遣を求めた場合は被告医院から約四キロメートル以上離れた消防署本署から来ることになり時間がかかること、被告において、本件の前に頭蓋骨骨折をした小児を河南病院へ搬送した際に救急車を要請したところ、被告医院に到着するのに約二〇分間要した経験を有していたこと、被告医院と河南病院とは、国道三一七号線及び国道三一〇号線を経由して約一〇キロメートルの距離であったこと、及び原告春子らが自家用車で被告医院に来ていたことから、被告は、原告春子らの意向を確認したうえで、救急車の派遣を要請しなかったことが認められる。

右事実及び原告次郎が生後六か月の乳児であり、搬送時間が一時間程度あれば家族の者が抱きかかえていても医学的に問題は生じないこと(証人殼内)からすれば、被告において、救急車の派遣を要請せず、自家用車で原告次郎を搬送させたことをもって、搬送にあたり適切な措置を講じなかったということはできない。

四  結論

以上により、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

よって、原告らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 妹尾圭策 裁判官 浅見宣義 裁判官 園原敏彦は、転補のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官 妹尾圭策)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例